【法人設立の経緯】

当財団法人の創立者は、日本人で初めて和英辞典を作成・出版した井上十吉の甥にあたる柴山格太郎という人物です。

柴山は叔父である井上の出版業務を手伝い、子供がいなかった井上の後継者として英語通信教育を大正13年に開始し、昭和7年には日本書道学園を開設しました。

出版事業と通信教育事業において250万人程の人々に影響を与えてきたと言われています。

昭和13年には、柴山は東京ガスの会長を務めた太田亥十二と共に、近衛文麿と東条英機との会談茶席を企画しました。

その茶席において、柴山達は近衛と東条に戦争をせずに穏便に事を済ますべきだとの説得を行い、 その後、第二次世界大戦は始まってしまったものの、終戦後に戦争反対に尽力し茶席での活躍等を認められた柴山と太田は GHQの高官達によって称賛されることになります。

そして昭和21年、柴山と太田はGHQ高官であるCadwell憲兵総司令官、Johns第8軍情報部長、 その他要人らと共に原宿、京都、金沢へと天皇家が使用する7両編成の列車を貸し切って日本の観光兼視察に向かいました。

英語が堪能だった柴山達は、道中において日本の文化や習慣等を詳しく説明し、日本の素晴らしさを伝えようとしましたが、 京都の寺社見学をした際に、高官達は土足で境内や屋敷の中に上がり日本のしきたりやマナーは何も知りませんでした。

柴山達はこの瞬間に敗戦の意味を実感し、このままでは日本文化が失われ、日本人の存在自体が希薄なものになってしまうと痛感しました。

このことから、柴山は日本文化を大切にして尊厳あるものにしなければならず、 世界的に通用する日本人の教育をしていかなければならないと決心します。

そこで、収益を求めることなく純粋に日本の文化を残して承継していくこと、 日本人の品格と本質を世界に広く知らせていくことを目的として昭和21年に当法人を設立しました。

法人設立後すぐにアジビラ作りに利用されていたという理由で廃止されていた書道の復活をGHQに直訴し、 書道の復活に貢献しました。復活を機に書道の学習に力を注ぎ、国外でも日本人が劣等視されることがないように、 自身の得意分野であった英語の通信教育にも力を入れていきました。日本独自の文化能力の養成に加えて、 英語という海外の文化も同時に伝えて行くことが柴山の描いていた理想であり、 当法人は設立以来現在に至るまでその目的を遂行し続けてきております。

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